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あざみ野FC・OB列伝 その12010.06.08

あざみ野FCが誕生して30年、1982年に卒業した1期生から今年(2010年)卒業した29期生まで含めると約780名の子供達があざみ野FCを卒業したことになる。 30周年にあたり6回に分けて各年代の状況とOBを紹介する。 途中受験の為などであざみ野FCを離れた子供達を加えれば軽く1000人は超えるのでその全てを書くことは無理であり、各年代の成績やトピックスを中心にし、ごく限られた選手の紹介になることをお許し願いたい。 またかなり昔のことでもあり記述が不正確な部分もあるであろうことをあらかじめお断りしておきたい。

あざみ野FC・OB列伝 その1
 ―1期生(’82年卒団) ~ 5期生(’86年卒団)―
あざみ野FCの生い立ちを話すとき、1980年(昭和55年)の12月21日、開校したばかりのあざみ野第一小学校校庭に集まった5人の少年とその父母のことを忘れるわけには行かない。 つまりあざみ野FCが正式にスタートする直前の、まさにパイオニア達のことである。
そのとき小学校3年生であった桜井秀紀が中での最年長であった。 今日、慶応大学病院のバリバリの外科医林田哲は2年生、弟の信二は幼稚園の年長児で、各々が後のあざみ野FCを引っ張ることになる。

翌年の春、正式に産声を上げた第1期生は小学校5年生になったばかりの8名、甘楽英徳が初代主将を務めた。 早大進学後FCに戻り、今日までの躍進の基礎を築いた1人でもある川手誠もこの中にいて、先輩チームには2桁失点もあった当時の守護神だった。

吉田博之が主将の2期生には、クラブのスタートから参加した細身耕一や池田浩士らがいて、横浜市の大会で少しは目立つ立場を確立した。

少年サッカーブームの引き金となった連載漫画“キャプテン翼”が一世を風靡した頃卒団した3期生には中央大学に在籍しながら東京ヴェルディの前身、読売クラブで活躍した溝井洋輔がいる。 あざみ野FC出身のプロ1号であり、父親の武実氏は長年FCのコーチを務めた。洋輔は現在沖縄で新聞記者として活躍している。 内藤朗が主将を務めたこの学年には、長男が FCに入団したのを機に自身もコーチに復帰した本多孝行や、パイオニアとして先に紹介した桜井らがいて、夏合宿で初めて親分クラブの橘キッカーズに快勝するという、当時としての快挙をあげている。

あざみ野FCのSLというと故吉田弘監督や足立富雄コーチの名が思い出されるが、この両人の息子はともに4期生である。 吉田弘二は口数の少ない少年だったが人一倍悔しがり屋で、泣きながらプレーする姿が今も懐かしい。 足立知巳はテクニシャンのFWで点取り屋だった。 沈着冷静な花田賢二主将を中心に、たまプラーザでゴルフ練習場を継いでいる俊足の田辺雄介ら、タレントの豊富な年代で、4年前、村上(代表)が胃の手術をした際、留学中だったボストンのマサチューセッツ病院から手厚く応援してくれた林田哲はこのチームのゲームメーカーとして活躍した。

5期生になるとあざみ野FCで初めてサッカーを始めた子供達の台頭が目立つようになる。 ストライカーの荒井均、負けず嫌いのゲームメーカー滝本誠之、守備の要の池田展幸らが市選抜に選ばれる等、チームとしての評価も高くなった。 市の大会や県の大会で、L、LL、SLの各世代が、常に上位への進出を意識できるようになったのもこの頃からである。