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あざみ野FC・OB列伝 その42010.08.21

―16期生(’97年卒団) ~ 20期生(’01年卒団)―
16期生から20期生が卒団したこの5年間も、’96年に神奈川県大会で初のダブル優勝を果たしたあざみ野FCの快進撃が続いていた。 ‘98年に2度目の県大会ダブル優勝、そして'99年、2000年の全日本少年サッカー決勝大会2年連続出場(神奈川県代表)などである。
高学年が日産FCプライマリーから名前を変えたマリノスプライマリーとマッチアップ状態が続くなか、SLでは'97年の市大会春秋連続制覇、LLでは市大会の決勝がほとんどあざみ野FCとマリノスで争われどちらかが優勝するといった状況で低学年も快進撃を続けていた。 これらの成果の裏には、12期生くらいまではLLの時期に選手が減少してしまったことを反省し、皆が楽しくやれるサッカークラブを目指して検討を重ね、LLの期間に10名以上増やしこそすれ減らさないやり方を作り上げたコーチ陣の努力があったことを記録しておく。

この間、’98年のワールドカップフランス大会に日本が初出場、2002年の日韓共催でワールドカップの人気は不動のものとなる。 ‘98年からは中田英寿がセリエAのペルージャやローマで活躍し、ヨーロッパのサッカーを日本でもテレビ観戦できるようになり、サッカー少年たちが高いサッカー技術を身近に感じられるようになった時代である。

'97年に卒団した16期生OBには順天堂、中央、国学院、早慶等関東大学リーグで活躍した慶田光彦、村井俊介、白坂嘉宏、飯沢達等もいるが、この年代はやはり4年生まで在籍し、5年からヴェルディに移った玉乃淳をはずしては語れない。 玉乃は3~4年生の段階で周囲の目を驚かせるボールジャグリングの技術をみせ、パスやシュートはコースだけでなく強さまでコントロールするような段階にあり、多くの関係者に「こんなうまい4年生は見たことない」と言わしめた逸材であった。 ヴェルディジュニアユースのゲームメーカーとして活躍、スペインのアトレチコマドリードに認められそのユースでF.トーレスとツートップを組む等で将来を嘱望された。外人枠の制限で17歳のとき帰国後、ヴェルディで天皇杯優勝メンバーとなり、その後徳島、横浜FC、草津等のJ2に在籍したが、最近(2009年年末)26歳の若さで引退し周囲を驚かせた。 16期生はLLの年代でGP杯の優勝、第1回マリノス杯で3位等の成績を収めたが、この玉乃が抜けた後もLの時期に全体のレベルアップがはかられ、新人戦優勝、郡市対抗(今の県チャンピオンシップ)準優勝を果たしたのは公式戦のほとんどを強力なマリノスに制覇された年のなかで立派な成績であった。

‘98年に卒団した17期生はあざみ野FC30年の中で最強の学年といってよいであろう。 この年代はあざみ野FCがスーパーSL(幼稚園生)のクラスを始めたときの入団者もおり、2年生の春市大会に優勝、4年生の1年間ではほとんど負けを知らなかった。 優勝した県大会では準々決勝の対日産戦や決勝の対林間戦も共に4-0で圧勝、県大会8試合通算で得点48、失点2という圧倒的な攻撃力であった。 6年でも県大会と郡市大会で優勝、全日はマリノス追浜にPKで敗れ3位となったが関東大会で準優勝とこれまでの最高の成績を収めた。 この原動力となったのがポイントゲッターでマリノスユースや法政大学でも活躍した杉山弥史、俊足FWの奥山雅之、攻撃好きのボランチでFKやCKのスペシャリスト土方雅史、俊足レフティー野田勝彦、頭脳で勝負するMF山中達哉やテクニシャンの阿部竹幸、Lで一気にゲームメーカーに駆け上がった児玉寧、身体を張った守備が光った児玉啓、SLからLまで一貫してGKとしてチームを支えた新川昇平らである。 いずれも杉山同様ジュニアユースやユース、更に大学等で活躍するが長くなるので省略する。

華々しい17期と19期の狭間であるが18期生もLLで国チビ優勝、Lで全日神奈川大会準優勝、関東大会ベスト8、県大会4位、と立派な成績を上げている。 18期の中心は負けず嫌いで頑張り屋のリーダーで双子兄弟の千葉和貴と千葉義貴、センスとテクニックに優れた奥山正憲、スピードとパワーの中條剛(中條コーチの長男)らであるが、あざみ野FCで低学年のBチームの選手達を励ますために語られる「LLまでBチームであった選手2人が全国高校選手権の代表を決める神奈川県決勝戦で対戦、一方はキャプテンで他方は相手チームのCBで共に守備の要として活躍した」という2人は一方がLのキャプテン阿部俊太であり、他方はLでAチームのCBに定着した奥山豪である。

19期は全日本少年サッカー決勝大会に神奈川代表として出場できた最初の世代である。 この世代はSLの春市大会で優勝したものの、LLでもLでも春・秋共に準優勝、マリノス新子安に決勝で屈することが多かった。 しかし県レベルでは4年の県大会で優勝、全日は準決勝でマリノス菅田にPK勝ち、決勝でマリノス追浜に延長の末3-1で勝ち、初の全国大会出場を成し遂げた。 また全日と時を同じくして行われたキリンカップに全日メンバー以外で出場し、見事優勝したことはこの世代のレベルの高さ、層の厚さを印象付ける出来事であった。 
守備の要のCBであった田中舜は昨年まで立教大学の中心選手として活躍、サイドバックの吉原(吉原コーチの息子)は医者への道を歩んでいる。 FWであった平間直道、キリンカップメンバーであったハウバード・ダン、平山秀人の3人は揃って多々良学園に進み2006年正月山口県代表として全国高校選手権に出場、ベスト4まで進んで国立競技場のピッチで活躍する。平間は現在YSCCでプレーを続け、 ダンは京都パープルサンガに入団した。

'01年に卒団した20期生は4年生までは無冠であったが、5年生のはじめに大久保翔と高橋諒という小学生離れした運動能力とサッカー技術を持つ2名および日下部諒らが加わり、急激に実力を上げ、全日の神奈川大会で優勝を飾った。 幼稚園から始めサボり方も含めてサッカーのことをよく知っていた金子直道(金子監督長男)や関翔太(関コーチ長男)、5年で突如その才能が開花し、VERDYジュニアユースに入団したGK前嶋尭斗志のディフェンス力に中盤を支えた森村学園三羽烏の末広健太、安藤仁、村越陽治朗や小さなキャプテンの宇高智也、俊足FWで大久保と共に2年連続全日決勝大会を経験した中熊恭平らがいて低学年でも楽しみなチームであったが、強力なストライカーが加わり高学年で強力なチームとなった。 大久保はマリノスユースからヴィッセル神戸に入団したが、ユース時代の怪我のため出場機会に恵まれず、Jリーグ出場を果たせなかったのは、なんとも残念である。 前述の多くの選手が現在も大学のサッカー部等で活躍中であるが、変り種を1人紹介しよう。 保坂梓郎は素晴らしい突進力とスピードをもつがボールコントロールが今一つで高学年ではトップチームに入れなかった選手だが、桐蔭学園入学後ラグビーに転向、高校選手権等でも活躍し、当時のラグビー全日本高校選抜に選ばれている。