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あざみ野FC・OB列伝 その22010.07.20

―6期生(’87年卒団) ~ 10期生(’91年卒団)―
神奈川県の少年サッカーは藤沢市を起点にして成長した。 従ってあざみ野FCの創成期は藤沢市の小学校を母体とした少年団チームが県内をリードしていた。 つまり後発であった横浜市の少年サッカーは「藤沢に追いつけ、追い越せ」を合言葉にしていた時代である。
そしてあざみ野FCの6期生から10期生が卒団した1980年代後半から90年代初期は、それ以前の5年間で低学年では躍動を始めていたあざみ野FCがようやく高学年でも当時横浜市の強豪であった山王谷、駒林、本郷に肩を並べるまでに成長した時代である。 この時期、神奈川全体で見ると厚木、藤沢地区が少年サッカーをリードしており、特にGP(ゴールプランダーズ・厚木市)は'84、’85、’88、’89に全日神奈川代表となり、全国大会でも'85に4位、’88に3位と健闘していた。 少年サッカーの技術や戦術面でもこの時期は変革期であり、従来のキックアンドラッシュという戦法が主体でその戦法の優位が動かない中で、日産FC(現在のマリノスプライマリー)やあざみ野FCがドリブルとショートパスでゲームを組み立てるサッカーを目指すようになっていた。

地域ということでみるとこの時期にあざみ野地区は新興住宅地として人気が高まってその人口が急増し、「キャプテン翼」効果もあってあざみ野FCの入団者は急増した。 当時の入団者の多くがあざみ野第一小、第二小、山内小などの地元小学校在籍者であり、特に第二小では男子生徒の2割以上があざみ野FCに入っているというような時期もあった。 ただこの地域は私立中学の受験を目指す学童が多く、卒団時には在籍者が半分に減っていたという学年も多かった。

'87年に卒団した6期には当時のLL大山監督の息子の大山幹也や片山コーチ(現在の片山Lコーチではなく6期~12期を教えた熱血コーチ)の息子片山恭もいたが、この学年のエースは俊足ストライカーの植田遊であった。 現在まで続くあざみ野FCの横断幕やそれのベースとなったあざみ野FCのロゴマークはデザイナーであった植田の父親がデザインしたものであり、遊も父のあとを継いでデザイナーとして仕事をしている。

小倉俊夫がキャプテンとして頑張ってまとまりのあるチームとなった7期には、後に東大や一ツ橋に進学した秋山淳、山内修平等勉強もよく出来る選手がおり、受験とサッカーを見事に両立させていた。

あざみ野FCの前半15年間で最強の学年が’89年に卒団した8期生であろう。 秋の国際チビッ子ではSLでは決勝で駒林に敗れ2位となったものの、LL、Lで見事優勝した。 6年生の秋、国際チビッ子20周年記念大会の決勝は三ツ沢の本グランドで行われ、山王谷を1-0で破りLでの公式戦初優勝となったが、Lでの市大会、県大会での優勝はこれ以後、7年後15期生が県大会で優勝を飾るまでお預けとなる。
‘気が優しくて力持ち’のキャプテンGK工藤満、SL、LLではエースストライカーであったがLで見事にCBとして守備の要となった浅井祐治、決勝戦で決勝点を決めた石渡良輔、胸のトラップが上手で突破力のあるトップ下の浮穴圭介がこのチームの牽引役であったが、渡辺誠吾、佐藤拓哉、川辺了一、糸井達哉、高橋秀樹、栗原延行、比嘉篤志の主力7名はいずれもあざみ野団地在住者であり、これらのまとまりも好成績の一因であったように思う。

岩田佑作という常に周囲の笑いを誘うヒョウキンモノキャプテンがまとめた9期生は春の市大会での初優勝をLLで達成したが、この9期には小さなテクニシャン三宅大輔がいた。 三宅は中学、高校とマリノスのジュニアユースやユースで活躍、当時は中村俊介が彼の控えであったという話はあざみ野FCの伝説となっており、現在も天皇杯神奈川代表を常に狙う強豪YSCCの中心選手や監督として活躍している。
後にコーチとして5年程FCに戻った青山智も9期であり、小学校のときには運動能力がかなり低い方に属した青山が青年期に高い運動能力を身に着けていたことには驚かされた。

10期生は4年生のときに県大会で3位となり期待されたが、人数が20人に満たないことで底上げが出来ず、'90年の全日神奈川を制し高学年では図抜けた存在となった日産FCに屈することが多かった。 この年代ではスタミナ抜群のゲームメーカー松野浩一、テクニシャンストライカー木下雅文、松井3兄弟の長兄でGKの松井和士が横浜選抜に選出され、横浜市の市制30年記念行事として、それぞれにオデッサ、ボンベイ等に別々の選抜チームとして海外遠征するという恩恵に浴した。 

9期生が卒団した’90年以後、横浜市の少年サッカーは新子安、菅田、追浜に拠点を整備し、3年生から優秀選手を選抜してチームつくりをする日産FC(’96年からはマリノスプライマリー'01年からはFマリノス)が牽引するようになる。 '90年の全日神奈川予選を制覇いて以後15年間はLL、Lの市大会や県大会では常に日産FC(マリノス)が上位を占め、あざみ野FCにとってマリノスに勝利することが大会で優勝することに通じる目標となっていた時代である。


ABOUT US ページの中の アルバム に懐かしい8期生の写真がアップしてあります。
写真の後ろにいるのは左から川手コーチ(未成年!)、村上代表(若い!)、渡辺コーチ(現LL監督で当時は髪の毛が黒い!)